2008年07月15日
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昭和十五年・食糧学院が角筈に開設した新校舎はどこか?

Written By: 川俣 晶連絡先

 東京荏原都市物語資料館の下北沢X物語(1128)~「駒沢練兵場」を訪ねて2~では、学校法人「食糧学院」について以下のように記述しています。

「昭和十四年に本郷真砂町で開校したんですね。そこは仮校舎で、後に新宿の角筈に新校舎が建ったんですよ。昭和十五年のことですね。東條英機も学校に来て学生たちに奮闘を促したんですよ」

 さて、角筈といえば現在の新宿駅周辺、特に西新宿であり、高層ビル街等がある場所です。

 新宿の十二社(じゅうにそう)とも隣接しており、以前追求した東京生命球場もおおむね同じ地域にあると考えて良いと思います。そして、東京生命球場を追求した際に昭和20年代~30年代の新宿西部の地図を何回も見ましたが、学校のような大規模施設が設置可能な場所は限られている印象を持ちました。では、角筈の食糧学院の校舎はどこにあったのでしょうか?

資料はあるか? §

 昭和16年の淀橋区の地図を見たら載っている可能性もありそうだと思って、新宿区地図集(新宿区教育委員会)を開いて、淀橋区詳細図(昭和16年)を見てみましたが、見つけられませんでした。発行までのタイムラグの関係なのか、既に存在しているはずの施設が記載されていないことも珍しくないので、無いとも言い切れません。かといって、戦後は消滅した施設のようなので、戦後の地図を見ても分かりません。

 さて、上記の記事では「食糧学院三十年史」「食糧学院五十年史」という2つの資料の存在に触れています。これを所蔵している図書館はないかと思って都立図書館の蔵書検索を行ったところ、中央図書館に「食糧学院五十年史」があることが分かりました。しかし、どうやら「改修工事期間:平成20年5月1日(木)から12月31日(水)まで」の改修工事に引っかかっているようで、現在は閲覧できないようです。

というわけで…… §

 今は問題の提起だけ。続きは来年以降か、あるいは機会のある時にでも。

 今は忙しいし、急ぐ調べものでもないので、気長に行きます。

補足 §

 この話題が興味深いのは、上記ブログ記事を見ると分かるとおり、旧日本軍の弱点として指摘されることが多い補給(輜重)を食料面で改善する明確な試みが行われていたように見える点です。

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